かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『アシェンデン―英国秘密情報部員の手記』

 

大戦勃発当時、海外にいた作家アシェンデンが、何とか英国に帰りついたのは、やっと九月初めになってのこと。
帰国して早々、情報部にスカウトされた。

ヨーロッパの数カ国語に通じているというだけでなく、作家という職業はうってつけの隠れみのになる。
つまり小説のネタ探しを口実に、人目を惹かずどの中立国でもいける。
作家自身にとっても貴重な材料が手に入ることだろう。
R大佐いわく、きみは情報部員にはもってこいだというのである。

アシェンデンは、R大佐が披露した実際にあったという事件の顛末を聞いて言う。
信じられませんね
そうじゃありませんか、そんな話はもうわれわれ作家が六十年も前から芝居にしてますし、そんな筋書きの小説なら掃いて捨てるほどありますよ。人生の現実が、やっと今ごろになってわれわれ作家に追いついたというわけですか?

ネタどころか、インスピレーションの糧にもなりはしないといいつつも、作家はこの仕事を引き受けることにした。

とはいえ、彼にはわかっていたのだ。
“複雑膨大な機械の、たった一つの小さな目釘にすぎない彼には、機械全体の活動を見る機会は一度として”ないことを。
実際のところ、“事件の最初か最後の部分、あるいは中頃のちょっとした付随事件にたずさわっていたのであろうが、しかし彼自身の行動がどのような役割を果たしたのかは、知る機会もなかった”のだった。

それはちょうど関連のない挿話をいくつも読者に読ませておき、最後にそれらをつなぎ合わせて、頭の中に一つのまとまった物語を組み立てさせようとする現代小説のようなものだったと、作家は不本意そうに回想してみせもする。

アシェンデンのそうした「経験」を語るこの物語は“スパイ小説”ではあるのだが、山場となるような大きな事件も、手に汗握るアクションもない。

けれども、作家と諜報部員という二つの視点から考察するあれこれや、各国のスパイや工作員たちとのかけひきが、個性的な面々の魅力を際立たせるだけでなく、はっきりと語られることのない“全体像”への想像をかきたてもする。

訳者あとがきによれば、この作品は、モーム自身が第一次大戦中、英国の秘密情報部員として活動した時の経験を元にして書かれたもので、かのゲッベルスをして“英国人がいかに狡猾で陰謀にたけているかは、この『アシェンデン』に如実に示されている”と言わしめた作品でもあるとのこと。

確かに、軽妙なタッチの人間観察的な面白さと同時に、背筋が寒くなるような“裏”をも感じさせるちょっと不思議な読み心地の物語だった。