かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『私と言葉たち』

 

原題は“Words Are My Matter”(2016)
2000年~2016年の間に書かれたエッセイや書評の他、1994年の特別な1週間の日記が収録されている。

同じエッセイ集でも先に読んだ 『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』(No time to spare : thinking about what matters:2017)が2010年から始めていたブログの記事を集めた「私生活」を覗かせるようなものであるのに対し、本書に収録されているのは、新聞や雑誌、書籍などに掲載された書評や、講演録を元に執筆されたエッセイなど、少し硬めの文章が多い。

そのため『暇なんか…』に比べて、とっつきにくい印象を持つ読者もいるかもしれないが、一文一文の中身は驚くほど濃く、読めば読むほど味が出る読み応えのある1冊だ。

評する本の好きでない場合を除き、書評を書くのは好きだ。ル=グウィンはいう。
とはいえ、どう評したらいいのか見当もつかない作品を取り上げなければならなくなったときに作家が取った方法とは……。
「前書き」から共感ボタンを連打しつつ、妙に納得してしまう。

フィクションを“ジャンル分け”する功罪、「ジャンル--フランス人だけが愛しうる言葉」に目から鱗がボロボロ落ちる。

自分の目以外の目を通してものを見たい人にとって、有益なテキストだと 、文中で『フラッシュ』を紹介する「ヴァージニア・ウルフからSFの書き方を学ぶ」はわずか2ページの短い文章にもかかわらず忘れがたい。

画面で読むのと、紙のページで読むのとは、確かに違う。だが、どんな違いがあるのか、私たちはまだ理解していないように思う。その違いは相当なものかもしれないが、この二種類の読書に別々の名前を与えることや、電子書籍は本とはまったく別物だと主張することを正当化できるほど大きな違いかというと、そうではない気がする。「本の死」と題されたエッセイにも、いろいろ考えさせられるものがあった。

サラマーゴの作品にはウィットと、胸が張り裂けるような矜持と、自分の芸術を完璧に制御できる偉大な芸術家の簡潔さがある
「矜持の模範」はサラマーゴ好きは必読の考察だ。

『ドクトル・ジバゴ』の評は、少々意外な気がし、『ストーカー』に、なぜだか温かな気持ちになったりもする。
私のお気に入り作品の1つ『古書の来歴』に対するなかなか厳しい指摘に、思わず目を見張る。これは要再読案件か。

…という具合に、書評も読み応えたっぷりで、またまた読みたい本や再読したい本のリストを伸ばしてしまった。

いつ読んでも、どこから読んでもいい内容だけに、ひととおり読み終えるまでかなり時間が掛かった。
最後のページまで目を通したとはいえ、通読するだけではもったいない濃さで、この先何度も読み返すことになりそうな1冊でもある。