トリクは人間の男に卵を産みつける。
男は自分の体内でトリクの卵を温め育て、やがて出産する。
一方人間の子どもは、人間が地球で生活していたときと同じように女の腹から生まれ出る。
男女が共に出産を体験するようになると、互いのジェンダー観は変わるのだろうか?
そんなことを考えながら読んだ表題作「血を分けた子ども」は、1984年度にネビュラ賞、1985年度にはヒューゴー賞とローカス賞ノヴェレット部門を受賞している作品だというのだが、それから長い年月を経た現代においても、十分にみずみずしく新鮮な驚きを与えてくれる。
謎の伝染病が原因で、人間は言葉を失い、コミュニケーション能力が著しく低下した世界。
社会は荒廃し、人々が互いに憎しみ合う、そんな社会に希望はあるのか…。
1984年にヒューゴー賞の最優秀短編部門を受賞した「話す音」には、言語が果たす役割と同時に、互いに理解し合うということの意味をも考えさせられる。
元々は雑誌に「ある作家の誕生」というタイトルで掲載されたエッセイ「前向きな強迫観念」を読みながら、1947年生まれの作家にとって、黒人であること、女性であることが SF作家になるにあたって、どれほど大きな壁であったかを思い巡らさずにはいられない。
そんなエッセイに瞳を潤ませた後で、再び小説を読み始めると、ぶち当たるのが「マーサ記」だ。
ある日突然、目の前に神が現れ、マーサに重大な務めを任せたいといいだす。
話を聞くにあたって念頭に置いてもらいたいのは、ヨナ、ヨブ、ノアの三人だと神は言う。
“人類がいまほど破壊的でなく、より平和で持続する生き方を見つけられるように”
どんな風に“設定”すれば、人類を救うことができるのか?
収録されているのは、7つの小説と2つのエッセイ。
それぞれの作品はもちろんのこと、この並び、この構成もまたすばらしい。
いずれの作品にも、作品の意図や作品への思い入れなど、作者本人による短いあとがきが添えられていて、これを読むと無性に、読み終えたばかりの物語をもう一度最初から読み直したくなる。
そうして読み返すと初読の時とはまた違った何かが見えてくる気も。
作家によるまえがきから、訳者によるあとがきまで、隅々まで読み応えのある短編集だった。