かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『星の時』

 

星の時

星の時

 

 帯にもある“「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」によるある女への大いなる祈りの物語”といううたい文句に誘われて手をのばした本。
実際に持ってみると、訳者解説を入れても190ページに満たない、意外なほど薄い本だった。

あらすじにするとごくごく単純で、つまりは天涯孤独の貧しいタイピスト・マカベーアが恋をする話なのだが、構成がちょっと変わっていて、本筋には全く絡まない作家を名乗る語り手が、これまた本筋とは全く関係なさそうな自分の周りのあれこれを始終ぼやきながら語りあげていく。

読み手である私は、語り手であるぼくの話に耳を傾けるべきなのか、マカベーアの行動を注視すべきなのかと迷っているうちに、物語はあっという間にクライマックスに。

でもその前にちょっとひと休み。
とても好きなシーンがあるのだ。
その話を聞いて欲しい。
マカベーアがラジオで流れていた曲について恋人に語るシーンだ。

カルーゾっていう男の人が歌ってて、その人はもう死んだんだって。すごく優しい声で、聴くのがつらかった。曲の名前は<Una Furtiva Lacrima(ウナ・フルティーヴァ・ラクリマ)>。なんで涙(ラグリマ)って言わなかったのかはわからないけど 

「ラグリマ」ではなくて「ラクリマ」だったのは、ラジオの人が間違えたのだろうと彼女は思っていて、それはつまり、彼女は世界には自分が話す言葉とは違う言語が存在するなんてことを考えてみたこともないってことで。
そんな彼女がその曲を初めて聴いたとき、思わず涙をながしてしまったというのだが、そもそも泣いたのは初めてだったので、目の中にこんなに水があったなんてしらなかったから、すごくおどろいてしまったのだった。

自分が不幸せであることすら認識できないでいるマカベーアと、彼女の悲惨な境遇を歯に衣着せぬ物言いでいいのけてしまう語り手のギャップが、薄幸な若い娘への哀れみをさそう。

そうして、私はこのレビューを書きながら、ドニゼッティの L'elisir d'amore(愛の妙薬)のアリア Una Furtiva Lacrima (人知れぬ涙)をYouTubeで聴いてみたりしている。
もちろん歌い手はEnrico Carusoだ。

そんなわけで、23の言語で翻訳され、世界的な再評価が進む20世紀文学だというこの作品。一筋縄ではいかない、なかなか興味深い本だった。

もっとも、ウルフの系譜ということなら、『世界の文学、文学の世界』に収録されていた同じ著者による短篇「カーニヴァルの残りもの」の方が、ずっとそれらしく、読み手を“意識の流れ”に巻き込んでいくような気もしたのだけれど、これは作品とは別の、出版社の販売戦略の問題なのかもしれない。