かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ジェイコブの部屋』

 

どこでどう聞きかじって、どう誤解したのかはわからないが、
私はこの作品を文字通り「ジェイコブの部屋」を舞台にした物語だとばかり思っていた。
けれどもその部屋には、ジェイコブはいなくて、
そこを訪れたり、覗きこんだりした人たちが頭の中で思い出す
ジェイコブとのあれこれが、物語を構成しているのだと。

ところが読み始めてみると、
一向に「ジェイコブの部屋」らしき空間が出てこない。


若くして夫を亡くしたペティ・フランダースは、
女手一つで三人の息子を育て上げなければならなかった。
そうした事情が語り始められるのは
コーンウオールの美しい海岸で
三人兄弟の真ん中で遊びに夢中になっているジェイコブ少年は
好奇心旺盛の手に負えない強情っ張りだ。
もっともそれは、母親の評に過ぎなかったが。

やがてジェイコブは親元を離れケンブリッジに進学する。
ここにきてようやくジェイコブの部屋らしき場所が現れるが、
どちらかといえば、印象に残るのはその部屋よりも
昼食に招かれた教授の家や、
あれこれと語り明かす友人の部屋、
大英博物館の図書室、
あるいは恋人と語り合うあの場所だったり、
旅先で彼の目に映る風景だったり。

どの場面も細やかに描写され
その表現がまたうっとりするほど美しかったりもするのだが、
場面も登場人物もめまぐるしく変わり
時間も空間もいったりきたりで
なにかをつかんだと思うと、そのなにかが指の隙間をすり抜けていくかのよう。

最後の最後になってジェイコブが、
あれこれやりっぱなし、放りっぱなしにしていた部屋に入った人物がため息をつく。
ああそうだ。
きっと彼はまたすぐにでも、ここに帰って来るつもりだったのだろう。
だからこそ、こんな風になにもかも開けっぴろげに…。

少なくとも、彼は自分の部屋を持っていた。
そしてその部屋を、多くの人が訪れて、多くの人が出て行った。
それはまさに、彼の人生そのものようで……。
読んでいた本や置きっ放しの手紙を手にとってみることも、
ジェイコブと自分の関係を振り返ることも
ジェイコブと他の誰かの関係を推測することもできるけれど、
ジェイコブの部屋をいくらひっくりかえしてみてもそれは、
ジェイコブそのものではありえなくて……

「ジェイコブ!ジェーイコーブ!」
そういえば作中で何度も、
誰かが彼の名を繰り返し呼んでいたっけ。