かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『島とクジラと女をめぐる断片』

 

ポルトガルという国は西の果てにあって、だから「西洋は終わりだ」という地点を目にしようと思ったら、ポルトガルの海を見に行けばいいのだと思っていた。
けれども海岸に立てば海の向こうに島は見え、海に身を乗り出せばどこかに線が引いてあるはずもない。

結局のところいくつもの昼夜を徹して帆走したあげく僕が理解できたのは、ここで西洋は終わりだというような地点はどこにもなく、境目は僕たちと一緒にどんどん移行していくものだということだ。


Inutile phare de la nuit (役立たずの夜の燈台)
随分長いこと心のよりどころにしてきた言葉が納められているはずの本のページを、いくらめくってもその言葉を見つけることが出来ない。
それでも僕たちの人生の歩幅は、ときに、みじかい言葉にさそわれて変わることがある。と彼はいう。


じっと彼女を見つめていると、女もおれを見た。愛が人間のなかに入りこむなんて、ほんとうに奇妙なことさ。


『島とクジラと女をめぐる断片』は、その邦題が示すとおり、手紙形式の文章や詩の断片、あるいは旅行記、それとも物語か……というような、様々な種類の断片で構成されている。


訳者の須賀敦子さんはこの1冊の本を詩的で象徴性のつよい断片の集大成といえるもので、まるで海面に散らばった難破船の破片をあつめるようにして作られている。と紹介した。


原題を直訳すれば『ピム港の女』となるところを、あえて長いタイトルにしたのは、「港と女」というありふれた組み合わせから逃げたかったのと、クジラや島の話が表題から落ちてしまうのが惜しかったからだということだ。

ある作家がポルトガルの沖合に浮かぶアソーレス諸島を訪れ書いたとされるこの本は、彼が目にしたもの、耳にした話、そして見え聞こえた気がしたあれこれからなっていて、それらの断片は、まるで寄せては返る波のように、本の海と読者の心の中を漂い、やがて最終盤に語られる『ピム港の女』に注ぎ込まれる。


世界も難破しかかっているのだが、だれもそれには気づかない。と海を見つめた人が憂えば、やっぱり、彼らは、悲しいにちがいない。と、人を眺めながら、クジラが呟く。

そして私はタブッキの紡いだ言葉を拾い集めながら、サウタージの波間を彷徨い続ける。

              

                   (2014年09月18日 本が好き!投稿