訳者解説によるとパク・ソルメは、2009年のデビュー以来、常に際立った注目を浴びてきた作家で、「個性的」「前衛的」「果敢」と評されることが多いのだという。
本書は、今までに韓国で出版された4冊の短篇集から作品を集めた日本版オリジナル編集で、作品の選定と構成は、パク・ソルメの約10年の軌跡と重要なテーマが一望できることに主眼を置いて、作家と翻訳者の間で十二分に協議を重ねた結果とのことだ。
実をいうと私、この本を手にするのは2度目だ。
発売前から読みたいと思っていて、献本にも応募したが抽選に外れ、当たったつもりで読もうと直後に手に取った。
けれども、巻頭作「そのとき俺が何ていったか」を読み終えた後、ページをめくる手が止まってしまった。
作家はこの作品について「恐怖映画のオープニングのようなものを書いてみたかった」と言っているというのだが、これは怖かった。本当に怖かった。
若い女性が同性の友人と連れだってカラオケボックスに行き、事件の被害者となる。
事件の導入部と過程が、まるで目の前で進行しているかのように鮮やかに描かれているこの作品には結末がない。
それだけに、突如として襲いかかる不可解で理不尽な暴力に言葉を失い、女であるというだけで被害に遭ってきた多くの女性たちのことが頭に浮かんできて、暗澹たる気分になってしまい、続けて他の作品を読む気になれなかったのだった。
それでも私が(今は読みどきではなかったのかもしれない)と、本を閉じたその後も、この本に対する高い評価があちこちから聞こえてきて、気になってはいたのだった。
今回 「第4回#出版社合同韓国文学フェア応援読書会」にあわせて、再び手に取ることにして、改めて巻頭作をもう一度読むところからはじめたのだが、2作目、3作目と読んでいくにしたがって、自分の中で、作家に対する印象はもちろん、1作目に対する印象も少しずつ変わっていくのがわかり、そうした点でも興味深かった。
収録順に「そのとき俺が何て言ったか」「海満」「じゃあ、何を歌うんだ」は、淡々と語られるあれこれに胸の痛みを伴って、読む者に忘れがたい印象をあたえるのに、なぜか、登場人物たちは置き換えが可能で、出てくる人たちが、私の知っている誰かのような気がしてならない。
「私たちは毎日午後に」「暗い夜に向かってゆらゆらと」「冬のまなざし」はいずれも、福島第一原発の事故にインスパイアされた作品で、作家の個性が際立ち読みごたえも十分だが、どこか読み手を突き放すようなところがあり、下手な共感を許さない。
ところが「愛する犬」と「もう死んでいる十二人の女たちと」になると、なんだか見ず知らずの誰かの頭の中を覗いてしまっているような気分にさせられる語り口調で、そのくせ「もう死んでいる……」で語られているのは、かなりとんでもないことだったりするので、そんな、でもいいのか、それでも、ああそんなこと……と、思わずブツブツ口にしてしまいそうになるのである。
巻頭作と巻末に収録された表題作との対比がまた見事で、これは短篇集で、しかも日本版オリジナルの短篇集のはずなのに、まるっと一冊で一つの作品群でもあるような、そんな素晴らしい編纂だったと、途中で投げ出さなかったからこそ、実感を持って言うことができる。