かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『モスクワ妄想倶楽部』

 

以前読んだ『月曜日は土曜日に始まる』はとても面白かったし、この作品はブルガーゴフの『巨匠とマルガリータへのオマージュにもなっていると聞いたので、かなり期待して読み始めたのだが、これはもう期待以上の面白さだった!

この小説に登場する人物は誰一人として現実には存在してはいない(かつて存在したこともない)。それゆえ、登場人物のモデルを探すいかなる試みも無駄であろう。また、この小説の中で言及されている機関、組織、団体も,まったく架空のものである。以上、読者諸氏にあらかじめお断りすることを義務と心得る。   作者敬白


冒頭にこんな“ことわりがき”を添えて始まる物語の語り手兼主人公は元軍人の作家ソローキン。
日本の研究家でもあり日本語の翻訳を手がけていたりもして、“日本通ぶり”を発揮した小ネタがあちこちにちりばめているのも楽しい。
作者の忠告を(もちろん作者は無視されることを計算にいれてわざわざ断ったに違いないのだからと)あえて無視して考えるならば、ソローキンはアルカージイストルガツキイその人である。

それなりの“代表作”を持ち、それなりの評価も得ている作家ではあるが、“様々な事情”により自分の書きたい作品を書いて世に問うということが思うように出来ない状況にある。
なにしろ物語の舞台は“ソ連時代のモスクワ”なのだから、“事情は推して知るべし”である。

そんな彼の心のよりどころは“青ファイル”。
いつ完成するのか、本当に完成するのか、いつか日の目を観ることがあるのか、まったくわからないものの、彼の魂とも言うべき書きかけの小説が綴じられているのだ。


しばらく前から彼は、作家協議会の議長から風呂町(バーンナヤ)に早く行けとせっつかれている。
作家はすべからく、そこにある言語学研究センターに、調査資料として任意の原稿を数枚持参しなければならないというのだ。
既に行ってきたという同業者から聞き込んだ話や、作家達のたまり場となっているサロンで交わされている会話などから、どうやらその研究センターには機械が備え付けてあって、持参した原稿はその機械にかけられるということらしい。

“様々なパターンを読み込んで、ゆくゆくは機械が自分で原稿を書けるようにするためのものに違いない”と主張する者があれば、“検閲のためのもの”であると考えている者もいるが、本当のところ、いったいなんのための機械なのかは定かではないため、主人公はすすんでセンターに足を向ける気になれないし、実際、行こうと思うとそのたびにあれこれ“差し障り”が生じてなかなかたどり着けない。

そういうこまごまとしたエピソードの中に、ロシア文学史に関する小ネタや、ソ連社会を揶揄する皮肉が仕込まれていて、読み進めながら思わずニタニタと笑ってしまう。
といっても、中には注釈なしにそれと気づくのは難しいものもあり、私にしては珍しく、巻末の注釈を参照しながら読み進めた。
そうした手間も物語の流れを損なうほどのこともなく、むしろ一呼吸置くことで、じわじわと面白み味が増していくような不思議な構成なのだ。


ところが、
ところが……なのである。
研究センターの機械がいったいなにをするものであるかが明らかになると、物語の印象はがらっと変わってしまうのだ。

主人公にとって本当の意味で恐ろしいこととはなんであったか……。
作家とは、なんと因果な職業なのであろうかと思いながら、最後は思わず涙が溢れてしまった。

                 (2016年07月06日 本が好き!投稿