かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『呑み込まれた男』

 

 私が蠟燭の光のもとで他人の日誌にこの文章を書いているところは、魚の腹のなかなのだ。私は食べられた。食べられたのに、まだ生きている。


こんな書き出しで始まるのは、『堆塵館』以来、奇想天外な物語と、不思議な絵の数々で私を魅了し続ける奇才エドワード・ケアリーが描く“もう一つの『ピノキオ』”。

冒頭1ページを読んで、まず最初に(これはもしや旧約聖書の“ヨナ”から来ているのか?)と考えたのだが、いやだがしかし、そもそも『ピノキオ』に、巨大な魚に呑み込まれる場面があったような気も……と、思い巡らす。

そういえば、私、『ピノキオ』って、なんとなく知っている気になっていたけれど、ちゃんと読んだことがなかった!と、慌てて『ピノキオの物語』を読み、自分の中の思い込みをあれこれ修正してから、この本に戻る。

もっとも読み終えてみれば、巻末のあとがきで訳者の古屋美登里さんが述べられているとおり、ピノキオを知らなくても十分堪能できる物語ではあった。

ただし、私がそうであったように、ディズニーアニメの影響で“知っているつもり”で思い込んでいたあれこれを修正する、という点では、事前に元祖ピノキオに触れておくのも悪くない気はする。

それはさておき『呑み込まれた男』だ。

自らの手で生み出した息子ピノキオが、絶望のあまり海に身を投げたと人伝に聞いた私は、いても立ってもいられなくなって、小舟を買って海に出た。
だが何海里か進んだところで巨大な魚に呑み込まれてしまったのだ。
運が良いのか悪いのか、魚の腹の奥で、かつてこの魚がまるごと呑み込んだらしい漁業用帆船の積み荷を糧にして、生きながらえることになった私は、美しい革装の航海日誌の残りのページに、わが子ピノキオの物語を書き残すことにしたのだった。


もうおわかりだろう。
そうこれは、丸太を彫ってピノキオを作ったあの大工のジョゼッペが語る物語。
ピノキオを生み出した経緯や、ピノキオとの思い出、捜索の旅にまつわるあれこれはもちろん、そもそも、代々受け継がれてきた伝統の図柄を用いて、陶器の彩色を生業とする一族に生まれながら、なぜその技を受け継がずに、大工になったのか。
なぜこの歳まで、家族をもたず、一人で暮らしてきたのか。
そうしたジョゼッペの人生の物語でもあって、読者は、ここにもまた、父親の期待に応えることが出来なかったもう一人の息子の姿を見いだしもする。

それでもやはり、ジョゼッペは生み出す人で、二年もの間たった一人、限られた空間に閉じ込められながら、物語を書き記すだけでなく、身近にあるものであれこれと作り出す。

その姿は、新型コロナによるロックダウンの中で毎日一点ずつ500点ものスケッチを描き、SNS上で公開し続けた著者自身の姿とも重なって、読者はまた、食料とは別の、もう一つの“生きる糧”について考えさせられたりもするのだった。