かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『平安人の心で「源氏物語」を読む』

 

源氏物語』を読んでいると時々とっても気になることに出くわす。

たとえば、源氏の君。
あちこち人妻に手を出して、あげく父の愛妻と子までなしてしまうのだけれど、当時はこれ、罪にならなかったのか?

会ったことのない相手に恋文をおくるのは常識!?
一夜を共にした後も、まだ顔を知らないって、どんだけ暗闇!?

物の怪って本当に信じられていたの?

あの人この人、あのエピソード、このエピソードにモデルはあったの?

叔父と姪、叔母と甥の婚姻はOK?
結婚できるのは何親等から?

妻と妾、女主人と女房の違いは?


そういう気になるあれこれを、「平安人の常識」に照らしてわかりやすくかみ砕き、あれこれ解説してくれるなんとも親切で興味深い一冊。


たとえば「若紫」で源氏の君が幼い日の紫の上に贈った歌。
「あさか山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらむ」
この歌がこれなら幼い彼女にもわかるだろうと、当時の手習い歌としてもっともポピュラーなもののひとつ「あさか山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは」をもじったものであったというのは、以前どこかの解説で読んで知っていた。
だが尼君の返歌「汲み初めてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見すべき」が、源氏の君が依ったのと同じ『古今和歌六帖』の「あさか山」の近くに収められている「くやしくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」をもじったものだというのは、この本で初めて知って、改めてさすが尼君と思わずうなる。
これなどもおそらく当時の読者の「常識」に裏打ちされているのであろう。


あるいは、光源氏と朧月夜の君の一夜限りの契り夜。
「花宴」の舞台は二月二十日。
下弦の月が、午後十時頃、東の空に昇る。南中時刻は午前四時。
その間、建物の東側には直接月の光が当たるはず。
しかし、渦中の二人が出会ったのは弘徽殿の細殿、建物の西側で、ここならば月光も明け方まで差し込まない……作者はそこまできちんと計算して、闇夜の逢瀬を描いているのだという。

ページをめくりながら、いやはやすごいなと感心してばかり。

もっとも現代小説だって、元ネタを知らないで読み流してしまうことなど、山ほどあるのだから、そんな平安の常識など知らずに読んでも楽しめはするのだけれど、知ったら知ったでなお面白くて、ついついあれこれと副読本を読みあさってしまうのだった。