かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『新編 不穏の書、断章』

 

アントニオ・タブッキは、私が愛してやまない作家の一人だ。
彼はイタリア人であったが、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアを敬愛していて、イタリアにペソアの作品を積極的に紹介した。
それだけでは飽きたらず、自身の作品の中にも頻繁にこの詩人を登場させた他、ペソアと同じポルトガル語で執筆をするようになり、やがてポルトガルの大学で教鞭を執り、ポルトガルの病院でその一生を閉じた。


タブッキがそれほど惚れ込んだペソアの作品を私もぜひ味わいたいと、かねてから思っていたのだが、詩の翻訳というのはなかなか難しいものらしく、以前読んだいくつかの作品は残念ながら今ひとつピンと来なかった。


今年1月に刊行された本書は、以前同名で別の出版社から出版されていたものを大きく増補、改訂して新編集をしたものだという。
訳者の澤田氏は、フランス語が専門なのではあるが、ペソアが読みたいがために、ポルトガル語を独学で学んだのだそうだ。
あとがきにとると、翻訳にあたっては、各国語の訳本も参照しているとのことだったが、どうやらここにもペソアに魅入られた人がいるらしい。


それほどまでに人々を魅了する詩人。
これはやっぱり、一度読んでおかねばと決意してページを開く。


冒頭には、ボルヘスサラマーゴカルヴィーノといった著名な作家のペソアへのオマージュが掲載されていて、数行ずつのその文章を読むだけでもう、この本を手にする価値があったと確信した。


その後に収められているのは141章の「断章」と、126章からなる「不穏の書」だ。
といっても、どちらも1つの物語を構成しているというわけではなく、日々の暮らしの中で書き手が見聞きし、考え、空想し、夢見た数々の“断片”がちりばめられているだけだ。
また完訳ではなく、「不穏の書」については全体の5分の1程度の量に相当するものだという。

詩人はふりをするものだ
そのふりは完璧すぎて
ほんとうに感じている
苦痛のふりまでしてしまう



こうした断片をひとつずつ、拾い集めていくうちに、読み手は詩人と共に、人生というあてのない旅にでて、自分の心と向き合うことを余儀なくされる。
一度目を通せば済むという本ではない。
時折思い出して、思いつくままに本を開き、目に飛び込んできた言葉を読み、詩人と共に旅に出る。
そんな贅沢な時間を幸せと感じることができる人のための本なのかもしれない。

 

             (2013年03月30日 本が好き!投稿