かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ポルトガルの海―フェルナンド・ペソア詩選』

 

私が初めてペソアに出会ったのは1990年代前半で、
タイトルに惹かれて
1985年に出版されたこの本の前身を手にした時だった。

ペソアのことなど全く知らずに読み始めた詩集に
フェルナンド・ペソア以外に
アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、
アルヴァロ・デ・カンポスといった詩人の名前が登場し
巻末の解説でそれらすべてが
ペソアの異名であるという事実を知らされて
なんだかキツネにつままれたような気がしたものだった。

あれから、年を重ね、あれこれと気の向くままに本を読むうちに、
タブッキに出会い、タブッキを通じて、再びペソアに出会い、
いつの間にかペソアは私にとって、大事な詩人になっていた。

だから、今回、彩流社祭をきっかけに
増補版という形で収録量を大幅に増やしたこの詩集に再会したのは、
ある意味、当然の結果だったのかもしれない。

詩人とは虚構(よそお)う人だ
その虚構いのあまりに完璧であるため
現実に感じる苦痛まで
苦痛であるかのごとく虚構う
(フェルナンド・ペソア「自己分析」より)


本書に収められているこの詩の一節と
澤田直氏訳の『新編 不穏の書、断章』に納められた

詩人はふりをするものだ
そのふりは完璧すぎて
ほんとうに感じている
苦痛のふりまでしてしまう

という一節とは
同じ出典であると思うが比べてみると随分と印象が違う。

本書の池上氏の訳は総じて硬質な印象をうけ、
意味が取りにくいところもあるが
性格も出自も背景も異なる4人の詩人の詩を
訳し分けようという試みはとても興味深い。

そう、4人は全く違う詩人なのだ。
そこがこの詩集のキモでもあると思うのだが、
難しいと思うのはやはり予備知識なしに詩だけを味わっても
この点がなかなか押さえられない点だ。

もしもあなたが、ペソアと初めて出会ったのならば、
冒頭からざっくり目を通したあと、
三分の二ほどページをめくったところにある
訳者解説をじっくり読んで、
ペソアついて、またそれぞれの詩人について
ある程度の人物像をつかんでから、
再び詩にもどるのがお薦めだ。

もっともペソア自身は、
読者に「捕まえてほしい」などとは思っていないともおもうので
つかみ所の無いまま、
一緒に漂うのもまた一興だという気もするけれど。

             (2019年03月30日 本が好き!投稿