かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『反省の文学源氏物語』

 

人によっては、光源氏を非常に不道徳な人間だと言うけれども、それは間違いであると言い切るのは、読書会のサブテキストにとあれこれ読み散らかしているところに出会った折口信夫の『源氏物語』評。

最初から完全な人間などいない。
人間は、過ちを犯した事に対して厳しく反省して、次第に立派な人格を築いていくものだ。
源氏物語を誨淫(かいいん)の書と考え、その作者紫式部の死後百年程経て、式部はああ言ういけないそらごとを書いた為に地獄へ堕ちて苦しんでいるなどという学者すらいるが、そういう人は、小説と言うものが人生の上にどんな意義を持っているかわかっていないのだと折口はいう。
源氏物語は、我々が、更に良い生活をするための、反省の目標として書かれていたというのである。

その証拠に光源氏にはいろんな失策があるけれども、常に神に近づこうとする心は失っていない。
光源氏の一生には、深刻な失敗も幾度かあったが、失敗が深刻であればある程、自分を深く反省して、優れた人になって行った。どんな大きな失敗にも、うち負かされて憂鬱な生活に沈んで行く様な事はない。此点は立派な人であると力説している。

立派って……まあ確かに光源氏、打たれ強くはあるけれど……。

その一方で折口はまた、物語の中の具体的な例をあげて、因果応報と言う後世から平凡なと思われる仏教哲理を、具体的に実感的に織り込んで、それで起って来るいろんな事件が、源氏の心に反省を強いるのである。源氏がいけない事をする。それに対して十分後悔はしているが、それを償う事は出来ないで、心の底に暗いわだかまりとなって残っている。とも指摘する。

同時に源氏物語の背景にしずんでいる昔の日本人の生活、更に其生活のも一つ奥に生きている信仰と道徳について、後世の我々はよく考えて見ることが、源氏を読む意味であり、広く小説を読む理由になるのである。というのだ。

確かに『源氏物語』を読んでいると信仰については、あれこれと思うところはあるけれど、道徳についてはどうなんだろう…。
反面教師か?そうなのか??

でも確かにそういう側面があるからこそ、物語は大団円で終わらなかったのかもしれない。

源氏物語は、男女の恋愛ばかりを扱っているように思われているだろうけれど、我々は此物語から、人間が大きな苦しみに耐え通してゆく姿と、人間として向上してゆく過程を学ばなければならぬ。源氏物語は日本の中世に於ける、日本人の最深い反省を書いた、反省の書だと言うことが出来るのである。と締めくくる折口のこの源氏評に、今のところ「共感」ボタンは押せないが、「読んで楽しい」は力一杯押しておきたい。