本書は 『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョナムジュが、2017年の1年間に、新聞や雑誌に書いた短いフィクションやエッセイに手を入れてた28篇を収録した短篇集で、原書は韓国で2018年に刊行されている。
そういうものだから、労働争議や大学総長選出をめぐる騒動など、時事問題が絡んでいる作品も多いが、詳しく知ろうと思えば丁寧な註釈もついているし、小さな文字は苦手だと註釈を読み飛ばしたとしても、十分に堪能できる作品でもある。
28篇の作品総て、主人公は女性で、いずれの女性も、誰かの娘であったり、妻であったり、母であったり、恋人であったり、部下であったりする。
だがその前に、自分自身であろうとする女たちの物語でもある。
「今」を切り取った韓国の話ではあるが、セクハラも「嫁」問題も、派遣労働も貧困も、日本でもあるあるの事案がいっぱいで、読んでいて胸が苦しくなるほどだ。
もしもこの本に(韓国は生きづらそうだな。日本とは違うんだな…)といった感想を抱いたとしたら、たぶんあなたに足りないのは想像力だ。
自分が「見たことも聞いたこともない」ことは、「他の人の周りにも存在しない」と思うのは早計だ。
現に私だって……と、思わず自分語りを始めたくなるが、いざ口を開こうとすると、あるかもしれない影響があれこれ思い浮かんで、思わず語るのをためらうことも。
なにもかも随分前のことなのに、自分の中で未だに消化できていなかったことにいまさらながら気づいたりもした。
それでもやはり、次に続く人たちのためにも、この本の登場人物たちのように、ありったけの勇気をふりしぼって声を上げていかなければならないのだと改めて思う。
私と同じように胸の痛みを感じるであろうあなたにお薦めするのはもちろんのこと、「韓国っていろいろ大変なんだなあ」と悪気なく思ってしまいそうなあなたにも、「声をあげることが難しい問題だからこそ、自分の目や耳には届いていなかっただけかもしれない」という想像力を持ちながら、読んでみて欲しい1冊だ。
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ここまでが、本が好き!にアップしたレビューで、ここからは書かなかったことだ。
この本を読んでいたら、日立男女差別裁判の原告団の皆さんの顔が思い浮かんだ。
義母に連れられて自分の名前が書かれたのし付きのタオルを持って、相方の実家のご近所のに挨拶回りをしたときのことも。
そんなしきたりがあることに驚いて固まった私をみて、(これはまずい!)と思ったらしい相方が「自分も一緒にいく」と言ったときの、「なんで?」と驚いたお義母さんの顔も。
一つの話を読む毎に、様々なことが思い浮かんだが、そういうことは、レビューの書かなかった。
それはたぶん、自分の中で消化し切れていないことがあったせいでもあるし、身バレをおそれてのこともあるし、私の特別な記憶を書き込むことで、そのレビューを読んだ人に、先入観を与えてしまうことを恐れたからでもあるし……。
それでも、本を読み終えた後も、レビューを書いた後も、あれこれと思い返すとともに、あれこれと考えることをやめることができずにいる。