かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ストーナー』

 

ストーナー

ストーナー

 

 主人公のウィリアム・ストーナーは、1891年、ミズーリ州中部の村の小さな農場の一人息子として生を受けた。
当時、両親はまだ若かったが、長年の重労働のためにすっかり老け込んでいた。物心ついた頃には幼い彼も重要な働き手として期待されるようになっていて、学校に通っている時間以外は両親と共に身を粉にして働いていた。と同時に学業の方にも、農作業と同じようにやるべきことと位置づけて、黙々と取り組んでいたのだった。
そんな彼の元にミズーリ大学に新設される農学部への進学の話が持ち上がる。
高校を出たら農場の仕事に専念することは疑問の余地のない決定事項だと思っていた彼は驚くが、父親の言葉にしたがって進学を果たす。
大学進学後も寄宿先の農場を手伝いながら真面目に勉学にいそしんでいたストーナーだったが、唯一苦手だったのが英文学の講義だった。

ところがある日彼は、こともあろうに苦手の英文学の講義の最中に運命的な出会いをすることに。
それはシェイクスピアの十四行詩73番だった。

かの時節、わたしの中にきみが見るのは
黄色い葉が幾ひら、あるかなきかのさまで
寒さに震える枝先に散り残り、
先日まで鳥たちが歌っていた廃墟の聖歌隊席で揺れるその時。
わたしの中にきみが見るのは、たそがれの
薄明かりが西の空に消え入ったあと
刻一刻と光が暗黒の夜に奪い去られ、
死の同胞(はらから)である眠りがすべてに休息の封をするその時。
わたしの中にきみが見るのは、余燼の輝きが、
灰と化した若き日の上に横たわり、
死の床でその残り火は燃え尽きるほかなく、
慈しみ育ててくれたものともに消えゆくその時。
 それを見定めたきみの愛はいっそう強いものとなり、
 永の別れを告げゆく者を深く愛するだろう



一年の、一日の、そして一生の、それぞれに迫る終わりの時。
視点を変えつつ、時の流れを追い、移りゆくときを慈しみ、老いと死に思いをはせながら愛をうたうこのソネットとの出会いが彼のその後の人生を大きく変えることになる。
結局彼は、専攻を英文学に変え、やがて大学院に進学し、講師になり助教授になり、死ぬまで教壇に立ち続けることになったのだ。

生涯の友を得たが戦争で友の一人を失い、一目惚れした女性と結婚にこぎ着けたもののその結婚生活は順風満帆とは言い難く、熱心な教師でありながらも人間関係においては上手く立ち回ることができずに冷遇され、ようやく“本物の愛”に巡り会っても想いを貫き通すことができない。

決して波乱に満ちているわけではく、むしろありふれているかのようにも思える一人の男の人生が、美しい文章で淡々と語られていく物語だと言ったならば、なんだか非常に退屈に聞こえるかもしれないがそんなことはない。
期待と不安に揺れ動きながらページをめくり、主人公と共に胸を痛めながらもかすかな希望にのぞみをつなぐ、そんな得がたい読書体験。

読み終えて本を閉じる段になって、時にはがゆく、苛立たしくさえ感じたこのストーナーという人物との別れをひどく悲しむ自分に気づく。
と同時に物語の前半に紹介されたシェイクスピアソネットを思い出す。
ああそうか、ストーナーの運命を変えるきっかけとなったあの詩はきっと、この物語のシナリオでもあったのだ。
あるいはもしかすると、あの73番のソネットこそが、この物語を端的に紹介する「書評」だと言えるのかもしれない。

             (2015年04月14日 本が好き!投稿)