かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ホワイト・フラジリティ 私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』

 

 たとえば「それ偏見だよ」「ずいぶん差別的だね」と、誰かに指摘されたとしよう。
おそらく私は躍起になって「そんなことはない」「それは誤解だ」と弁明するだろう。
場合によっては、「人権問題には若い頃から積極的に関わろうとしてきた」「私には○○の友だちだっている!」などと口走るかもしれない。
でも、違うのだ。
私の中には確かに、なんらかの偏見があり、意識的ではないにしろ差別的な発言をしてしまうことだって十分あり得る。

そう自覚して、自分の中のあれこれを常にアップデートしていく必要があるのだと、読みながら、何度も何度も自分に言い聞かせずにはいられなかったこの本は、批判的言説分析と白人性研究の分野で活躍する研究者であると同時に、教育者であり作家でもあるロビン・ディアンジェロ氏が2018年6月に刊行した著作「White Fragility: Why It’s So Hard for White People to Talk About Racism」の全訳だ。

タイトルにある「White Fragility(白人の心の脆さ)」とは、白人たちが人種問題に向き合えないその脆さを表現する言葉として、2011年に著者自身が作り出した造語なのだそうだ。

“白人女性”である著者が、白人の読者を主たる対象に、白人はなぜ人種問題に向き合えないのかと問い、白人による黒人差別の構造を解明しようというこの本を、私が読もうと思った理由に、その構造を知れば、他の差別問題にも応用できるのではないかという気持ちがなかったとはいえないが、まさかこれほどまでに、自分の中にある差別意識について、突き詰めて考えさせられることになろうとは思いもよらなかった。

レイシズムという制度は、社会全体で強化された大がかりなイデオロギーから始まる。私たちは生まれたときから、その思想を受け入れ、疑わないように条件づけされている。イデオロギーは社会のあらゆる面、たとえば、学校や教科書、政治演説、映画、広告、祭日、言葉やフレーズを通じて強化される。さらに、そのイデオロギーを疑問視した人に与えられる社会的制裁や、それに代わる思想がほとんど用意されていないことによっても、強められるのだ。(p41)



著者は様々な企業や団体などで行われるダイバーシティ研修でも出張講義を実践する多文化主義教育の専門家なので、説明の段階で既に攻撃されたと思いこんで反撃を始める受講者や、偏見を指摘された時の相手の反応など、その様子がありありと目に浮かぶような具体例に事欠かない。
まるでドラマのワンシーンのようなそれらの場面も、読み解く力がなければ、ただのハプニングにしかみえない。
ページをめくるうちに、自分の観察眼が少しずつ鍛えられて、問題点が可視化されてきたように思える。

同時にそうしたハプニングシーンのいくつかには、妙な既視感があり、差別の構造としてあげられた多くのものが、白人を男性に、非白人を女性に置き換えが可能であるようにも思われもした。
もっとも、ことはそう単純ではない。

性差別の問題にしろ、他の差別問題にしろ、構造に類似点が多いとしても異なる点もまたあるはずで、本書で学んだことを参考にしつつも、それぞれまた、別のアップデートが必要な問題なのだろう。