かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ハムレットの母親』

 

 キャロリン・G・ ハイルブランは、1926年生まれ。
コロンビア大学で博士号を取得し、同大学で長く教鞭を執り、1992年に引退、名誉教授となった。
専攻は近代イギリス文学、フェミニズム文学。
アマンダ・クロスというペンネームでミステリーも書いている。

本書は、ハイルブランの6冊目の評論集とのことで、1950年代に書かれた表題作「ハムレットの母親」の他に、1972年から1988年代後半、すなわち著者の言葉をひけば「公然たる献身的なフェミニストとしての生活のあいだ」に書かれた20編の論文が収録されている。

昨今では“フェミニスト批評”という言葉自体も随分と浸透してきた気がするが、あるいはもしかすると“フェミニスト”とか“フェミニズム”といった言葉を目にすると、もうそれだけで読む気がしなくなる…という方もおられるかもしれない。

でもちょっと待って欲しい。

たとえばこの本の表題作「ハムレットの母親」を見てみよう。
ハムレットの母親ガートルードはデンマークの王妃。
夫を亡くした直後に王位を継承した亡夫の弟と結婚するこの女性を、多くの批評家は王の殺害には荷担しておらず、「悪気はないが、浅はかで、ことばの軽蔑的な意味において女性的であり、持続的に理性を働かせることのできない、うわすべりで軽はずみな女性だと考えてきた」が、「この戯曲をもっとたんねんに読めば、この伝統的な読み方が誤っているのはわかるはずだ。」と、ハイルブランはいう。

そうしてハイルブランは、戯曲に書かれたことのみを根拠に、ガートルードの人となりを分析してみせる。
そうして浮き上がってきたガートルード像はというと…。
うーん。なるほど。
これはもう『ハムレット』、再読してみるしかないか。

ハイルブランはいう。
フェミニスト批評は決して「破壊的なものではない」と。

それは文学を攻撃しようとするのではなく、文学を、いかに並列的であろうと、女性たちが刻みこんだとおりに、あるいは、女性が書いたものではなくても、少なくともジェンダーや性的イデオロギーを排斥する女性を敵視しない精神で書かれたとおりに再解釈しようと努めます。この仕事の遂行において、フェミニスト批評は、他のなによりも喜劇に似ています。

と、彼女は続けている。

そうして『ハムレット』を、オルコットの『若草物語』を、メイ・サートンの回想録を、ヴァージニア・ウルフやドロシー・L・セイヤーズの諸作品を読み解く様はワクワクするほどの面白さ。

それにしてもフロイトときたら!
時代の制約があるとはいえ、この本で明らかにされている「フロイトの娘たち」に関するあれこれは本当にひどいかった。
でもきっとフロイトに限らず、こういうのはアカデミアの世界では「当たり前」だったのかも、いやアカデミア界隈だけでなはない、現に作家の世界だって……。
うん。やっぱり、フェミニスト批評、たまにはあなたも耳を傾けてみた方がいいんじゃない?