かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『ドクトル・ジバゴ 』

 

ドクトル・ジバゴ』(Доктор Живаго)は、詩人であり、ゲーテシェイクスピアのロシア語翻訳家でもあった作家ボリス・パステルナークが書いた長編小説です。

ロシア革命前夜から約四半世紀にわたる激動の時代を舞台に描かれたこの作品には、主人公の医師ユーリー・ジバゴと、永遠のマドンナラーラとの愛の遍歴を軸に、社会の混乱に翻弄される人々の姿が描かれています。


この小説を有名にしているのは、作品自体よりも、本国ソ連では体制批判と受け取られて出版できず、1957年イタリアでの出版を皮切りに西洋諸国で翻訳出版され、その直後、作家にノーベル文学賞が授与されることとなったものの、ソビエト政府の圧力により作家は受賞辞退を表明せざるを得なくなったというエピソードではないでしょうか。
(但し、委員会側が一方的に賞を贈り、後に遺族がこれを受取っています。ちなみに『ドクトル・ジバゴ』がソビエト連邦で合法的に刊行されたのは1987年のことだそうです。)

映画化もされているので、一定の年齢以上の方の中には、作品自体を読んだことはなくても、なんとなく知っているという人も多いかもしれません。

実を言うと私は、その昔、ロシア文学に傾倒していた学生時代に一度読んでいるので、今回はおよそ30年ぶりの再読になります。


1巻に収録されている物語の前半部分では、入れ替わり立ち替わりいろいろな人が登場する上、同じ人物でも呼称がいろいろ、おまけに主題はなに?主役はどこ?と訊ねたくなるぐらいうねうねしている……これぞ、ロシア文学という雰囲気です。

それが2巻に移ると、群像劇から一転。
ジバゴとラーラの二人に焦点が絞られてからの展開は比較的早く、ロシア文学特有のまどろっこしさが苦手な読者でも、前半部分よりは読みやすくなるかと思います。

一見するとジバゴとラーラの悲恋の物語といった印象をうけ、その印象自体は間違ってはいないとは思うのですが、同時にあまたの登場人物の語り口や行動、それぞれの行く末を通じて、作者が感じていたであろう革命や社会主義への幻滅やその宗教観などを読み取ることができます。

といってもそれは、力強く体制批判をする……といったスタンスではなく、あくまでもにじみ出ているといった趣で、作家自身がどれほど自覚的だったのかも、読んでいて今ひとつはっきりしませんでした。
もちろんそこは、検閲を意識してということもあるのでしょうが、作者自身の身の処し方も含めてなんだか釈然としないというのが正直なところです。

その一方で、1巻の巻末に訳者がまとめている登場人物それぞれの名前にこめられた意味などをみるにつけ、作家の宗教観の方は、かなり色濃く反映されているように思われました。

そういうあれこれが、興味深い作品であることはまちがいないのですが、それでも私はやはり、正直に言うと、初読の時と同じでこの作品をあまり好きにはなれませんでした。

あまりにも偶然が重なりすぎて、これが神の采配というやつなのか?と、首をかしげる点はまあ、そこはフィクションのなせるわざと目をつぶっても、主役級の登場人物たちに今ひとつ、ふたつ魅力が感じられず、とりわけ女性たちの描き方もその扱いもあまりに男性ご都合主義的であることが、時代の制約以上に、作者への不信感を募らせてしまうのでした。

                  (2020年05月06日本が好き!投稿