かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『菜食主義者』

 

#はじめての海外文学 vol.2フェア応援読書会の時からだから、この本のことを知ったのは6年ほど前のことだ。
何年も前に李箱文学賞大賞も受賞しているというこの作品は、ちょうどその年、ブッカー国際賞を受賞したのだった。

そんなわけで、ずっと気になっていた本だった。
にもかかわらず、なかなか手を伸ばせずにもいたのはこのタイトルのせいだった。

今の世の中、ベジタリアンもめずらしくはないと思いつつも、少なくても私の周辺ではまだまだマイナーだ。
実を言うと私も、少なくても週に1度は、丸1日動物性の食材を一切つかわない食事をとっているのだけれど、それに対する周囲の風当たりはかなり強い。

とりわけ親世代には肉食への信奉が根強く、そんなことをしていては「力が付かない」「病気になるのでは」と、ことある毎に苦言を呈する。

そんなこともあり、ある日を境に菜食主義者になった女性をめぐる物語と聞いて、少々躊躇するものがあったのだ。

だがしかし、今年(2022年)は本書の版元クオンの創業15周年。
記念の読書会を開催中でもあることだし…と、満を持しての『菜食主義者』、意を決して読んでみた。


この本は3つの作品を収めた短編集だが、登場人物が共通しているので一つの長編としても読むことができる。

“平凡”な専業主婦だったヨンヘは、ある日突然肉を食べなくなる。
ベジタリアン自体はさほど珍しくないが、ヨンヘの場合、なんらかの主義主張や、宗教や、誰かの影響があってそうなったわけではないらしい。
本人に問いただしても、自分が見た気味の悪い夢の話をするだけだった。
これが三つの物語に共通する前提だ。


菜食主義者」はそんなヨンヘをめぐるあれこれを夫の視点から描いた物語だ。
それまで自分の期待通りに平凡な妻の役目をつつがなくこなしてくれていたヨンヘ。
それまで妻への不満と言えば、彼女がブラジャーをつけることを嫌がることぐらいだった。
ある日突然、冷蔵庫の食材をすべて捨ててしまうまでは。
夫の語りはそのとまどいだけでなく、彼の結婚観や、ヨンヘと彼女の両親との関係など、ヨンヘのこれまでを鮮やかに描き出す。


つづく「蒙古斑」の主役は、ヨンヘの姉の夫だ。
芸術家の彼は、以前妻から聞いたヨンヘの身体に蒙古斑が残っているという話に惹かれていた。
この義兄、離婚し、退院後一人で暮らすヨンヘの様子を見ているうちに、芸術的なインスピレーションを得て、裸体に植物の絵を描いた彼女をモデルにした作品を撮ろうと思い立つ。
ここに描かれるヨンヘは、どこまでも男の視点からのそれで、彼女の胸の内は全くのぞくことができないにもかかわらず、その姿はとても痛々しい。


「木の花火」の主役は、ヨンヘの姉だ。
動物性のものを口にしなくなったことをきっかけに夫と離婚し、あれやこれやの末、両親からも見放された妹。
自分が夫を、息子が父親を失うきっかけとなった妹。
その妹を精神病院に見舞う姉の目に映るものは…。


ヨンヘをめぐるあれこれを、三人の身近な人物の視点から描き出す物語は、それぞれがそれぞれ抱く思惑と、ヨンヘとの距離感の描き方が絶妙だ。

動物性のものを口にしないという段階を通り越して、植物になりたいと本気で考えるヨンヘのその常軌を逸したかたくななまでの願い。

口をこじ開けてでも肉を食わせようと暴力を振るう彼女の父親や、芸術的な興味の域を超えて、性的欲求を彼女に向ける義兄。
男たちのその獰猛さとヨンヘの静への欲求とのコントラストがあまりにも鮮やかすぎて胸が痛んだ。