かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『チャタレー夫人の恋人』

 

上流階級の令夫人が領地の森番と契りを結び、道ならぬ恋へと突き進む
この小説を一文でまとめてしまうと、極めて陳腐な恋物語にしか思えない、だがしかし……と、訳者はまえがきで読者に向けて語る。

物語を読み進める上でおさえておきたい時代背景や、登場人物たちの社会的地位などをまずこのまえがきで説明しておくというスタイルは、なかなか親切でありがたくもある。

第一次世界大戦の戦線から休暇で帰郷したクリフォード・チャタレーは、コンスタンス(コニー)と結婚、一ヶ月の新婚生活を終えて再びフランダース地方の戦線に復帰したが、半年後、下半身不随となって戻ってきた。
時にクリフォード29歳、コリーは23歳の若さだった。

炭鉱を経営する傍ら小説を書き始めたクリフォードと、車椅子生活を余儀なくされたクリフォードの世話に明け暮れるコリー。

自身の子どもを望めないクリフォードは、コリーに別の男との妊活をすすめる。
その子を引き取って自分たち夫婦の子どもとして育て、跡継ぎにしようというのだ。
私を好きになった君の良識を信じるから、相手の男は誰でもいいという夫の言葉に、そうはいっても、あの人やこの人では気に入らないだろう、などと考えるコリーだったが、夫に勧められるまでもなく、既に愛人がいたりする。

その愛人ミケイリスは売れっ子作家で、事もあろうにクリフォードをモデルに舞台脚本を書いたりもする。
コリーに結婚している身だからという理由でプロポーズを断られると、離婚すれば良いではないかと言い放ち、あなたが半年いなくても、彼が気づくことはないでしょう。自分以外はどうでもいい人なのだから。あなたのことなど眼中にはない。頭にあるのは自分のことだけですなどとという。
この意見にはコリーも賛成だが、ではミケイリスはというと……。
誰も彼も、自分のことばかりなのだ。

激しい性交の後でミケイリスはいう。
男性と同時に達することはできないのですか。自分一人で果てなければ気がすまないとは。主役でなければいやということですね

“言葉にならない快感で体が熱くなり、愛情のようなものさえ感じていたところなのに、だいたいミケイリスは、始めたと思ったらすぐに終わってしまう。現代の男は大半がそうだ。それならあとから女が自分で動くしかあるまい”とは、コリーの胸の内。

結局、コリーはこの人気作家を振って、屋敷の森番メラーズと恋に落ち、密かに逢瀬を重ねることに。
身分や地位の違いを超えたこの恋の行方は…!?


 世界は可能性に満ちていると思われている。だが大多数の人間にとって、そんな可能性は皆無に等しい。「いい男なら山ほどいる」という慰めの言葉がある。たしかにそうかもしれないが、残念ながら大半の男は雑魚(ざこ)に思える。となれば、もし自分が雑魚ではない場合、よい男などまず見つからないということになってしまう。


わいせつだと批判され、かつては本国でも日本でも多くの物議を醸したこの作品。
赤裸々な性描写はもとより、こうした女性の性、しかもパリの高級娼婦ならいざしらず、人妻の立場からの男性本位のセックス批判が、圧倒的に男性が多かったはずの当時の読者には衝撃だったのでは…という気がしないでも。

しかしD.H.ロレンス
あれこれと突っ込みどころはありつつも、アラフォーの男性がここまで女の立場から思いっきりセックスを語るあたり、きっと身近にかなり優れた才覚を持つ女性がいたとみたが、はたして…!?
その辺りが非常に気になった。