かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『パラディーソ』

 

ラテンアメリカ文学不滅の金字塔」「20世紀の奇書にして伝説的巨篇」「翻訳不可能と言われた幻のキューバ文学」
そんな風に言われたら、手を伸ばさずにはいられない。
と、手に取ったはいいが、不用意に片手で持ったらガクッとバランスを崩すほどの重さで、計ってみたら970gあった。
本編だけで575頁、二段組みでぎっしりと文字が並んでいる。

いやこれは、読み切れないかも…と思いつつ、おそるおそるページをめくると、ぜんそく持ちの5歳の男の子が登場する。
父親は大佐で、どうやら基地内で暮らしているよう。

年中激しい発作を起こして、周囲を心配させるこの少年が、どうやら作者を投影した主人公にちがいないとあたりをつけて読み進めるも、なかなかページが進まない。

面白くないわけではないのだ。
むしろかなり面白い。
それも筋とはさして関係のなさそうな部分が。

たとえば、
“夜の中から生まれ出てきたような深紅のお皿”
“いつも日陰のほうに移動していくので僕たちの時計がわりになってくれているカメ”
“チャウチャウと交雑したペキニーズのように、スリッパをところかまわず、咬みちらそうと駆け出す想像力”とか。

“人を招きよせるような黄色よりも面白みのないピンク色の方が強いような人参とグレープフルーツのジュース”や“電気のスイッチの舌打ち”などというものも。

きらっと光る言葉を拾い出して、書き出してみようと思ったら、全然先に進みそうにないし、形容詞だけが数行続くなんてこともざらで、読んでいるうちに頭がくらくらしてくることも。

これはもう読み通すことを目的とせず、行間を漂うように楽しめばいいかと割り切ることにして、少しずつ読み進め、とりあえず最後までページをめくり終えたところで、このレビューを書いているのだが、全く読めたという気がしない。

でも、それでいいのかなという気もしている。
時折、思い出したように手に取って、偶然開いた頁を読みふける。
そんな読み方でも楽しめる本なのだ。

とはいえ、これだけでは、どんな作品なのか全く分からないと思うので、本作を読み進める助けとなるように巻末に収録されている訳者による資料を参考に、少し説明を試みる。

まずこの作品は、キューバの詩人・作家ホセ・レエサマ=リマ(1910-1976)の長編小説paradiso(1966年)の全訳だ。

1966年に刊行されたが、かなりの部分は1949年~1955年までに書かれていたのだという。

ちなみに1960年代半ばから1980年頃までの時代は、マルケスリョサなど、ラテンアメリカ文学がブームが巻き起こっていて、本作もまたそのさなかに刊行された作品ではあるが、作家はブームの作家たちより20歳ほども年上ゆえに別の世代に属していて、ブーム到来より遙か以前に、少なくともキューバ国内において文学的な権威を確立している人物だったのだという。

物語は19世紀終わりから1930年代までが舞台で、地獄巡りの後にパラディーソに到着する『神曲』の旅が下敷きとなっている。

いわゆる教養小説で、自伝的物語でもある。

著者と同一視できる部分の多い主人公の幼年期から語り始められるが、時系列を無視した形で、両親や祖母や伯父たちの物語があちこちに顔を出す。

そうかと思うといきなり、ギリシャ神話や古代ローマに入り込んだり、神学論争を始めたり。

神話の神々にソクラテスプラトンドン・キホーテ古代ローマ史にゲーテ、アウグスチヌスにトマス・アクィナスニーチェヘーゲル、哲学も神学も歴史も文学も熱い論争が繰り広げられているさなかに、いきなりエロスが入り込んで、人目もはばからず男根が飛び出す。
この二文字を○で囲って、いったいいくつ出てくるか数えてやろうかと思うぐらい、男根が大暴れする章もあるが、そのすぐそばに、母の切なる願いをのせたロザリオの祈りが同居する。

君は僕にとって一番不可知な存在であって、君が仮面を脱いでいけばいくほど、君の不可知性は、君が捨て去っていく仮面を全部拾い上げていくみたいなんだ

分からないでしょ?
分からないけれど、なんだか妙に面白かった。