かもめもかも

かもめのつぶやきメモ

『深夜プラス1』翻訳読み比べ

今回読み比べるのは
菊池光訳/『深夜プラス1』ハヤカワ・ミステリ文庫(1976年4月30日発行/1996年10月15日30刷)(以下、菊池訳)と


鈴木恵訳/『深夜プラス1〔新訳版〕』ハヤカワ文庫NV/Kindle版(2016年4月)(以下、鈴木訳)

 


まずは冒頭
菊池訳

 パリは四月である。雨もひと月前ほど冷たくはない。といって、たかがファッション・ショーを見るために濡れて行くには寒すぎる。雨がやむまでタクシーはつかまらないし、やめば用はない。数百ヤードの距離だ。いずれにしてもぐあいが悪い。


鈴木訳

 パリは四月である。雨はひと月前ほど冷たくはないが、ファッションショーを見にいくだけのためにその中を歩くには、やはり冷たすぎる。タクシーは雨がやむまでつかまらないだろうし、やんだら乗る必要はない。せいぜい数百メートルの距離なのだ。どうしたものか。



続いて時代の変化が感じられるちょっと気になる表現のあるところ
菊池訳

 ロンは薄緑色の絹のえりのついたダーク・グリーンのディナー・ジャケットを着て、えりにピンクのらんの花をさしている。パリのドレス服業界にはホモ風の服装でなければ、という彼の考えによるものである。そういう服装でも、彼は正真正銘のイギリス人に見えるし、ホモだと思う人間は誰もいないだろう。


鈴木訳

ロンは薄緑色のシルクの襟のついた濃緑色のディナージャケットを着こみ、ピンクの蘭を一輪つけていた。そうすれば自分の考えるパリのドレス業界にふさわしく、ゲイっぽく見えると思っているのだ。が、そんなものをつけても、ローストビーフと同じぐらいイギリス的で、山猫と同じぐらい女好きに見えた。



ここ↓の違いは結構大きい気がする。
菊池訳

「もう一つ。きみはマガンハルトの弁護士だ。きみの口から婦女暴行はなかったと保証してもらいたい。それと、彼がリヒテンシュタインに行くのは、自分の財産を守るためであって、人のものをかっぱらうためではないことも」
 彼は猫のようなものうい笑みを見せた。「カントン氏は道徳家か--今のきみは正義と真実の側についていたいのだな、え?」
 私は言葉鋭く言った。「きみと初めて会った時も正しい側についているものと考えていたんだがね--戦争中ではあったが」


鈴木訳

「それともうひとつ」とわたしは言った。「あんたはマガンハルトの弁護士だ。レイプなどしていないと保証してほしい。それと、リヒテンシュタインへ行くのは自分の金を守るためであって、他人の金を巻きあげるためではないということも」
 メルランは猫のような眠たげな笑みを浮かべた。「やはりキャントンは道徳家だな--あいかわらず真実と正義の側に身を置きたいというわけか?」
「おれはたしか、あんたと知り合ったときには正しい側にいたはずだがな--戦争中は」わたしはきつい口調で言った。




このあたりは微妙な違いが気になるところ
菊池訳

私はそれほど寒いとは思わなかった。温暖前線による雨はシトシトと間断なく降っていてたぶん温度も上がってきているのだろう。そのうえ、後ろの床の仲間のことを考えるとあつくなってくる。もっとも、死体と同乗するということは、人の体温にそれぞれ異なった影響をおよぼすのかもしれない。


鈴木訳

 わたしはそれほど寒いと思わなかった。このしとしと雨を降らせているのは温暖前線だから、気温はおそらく上がっているはずだ。しかも、後ろに転がっている仲間のことが頭にあるので、体はかなり火照っていた。だが、死体と一緒に乗っていると、人によっては体温が下がるのかもしれない。



名場面的な箇所も
菊池訳

「私は彼の古い生活の一部なんだ。二日前までは、彼がどこの馬の骨かも知らなかった。それでも、やはり彼の生活の一部なんだ。お互いに銃というもので結ばれている。銃を捨てるとなると、私とも離れなければならない」


鈴木訳

「おれはあいつの古い人生の一部だ。二日前まで会ったこともなかったが、それでもやっぱり一部なんだ。あいつはおれを銃と結びつけてる。銃を遠ざけろというのなら、おれも離れなきゃならない」



興味深いのは、鈴木訳の方には所々、
“知的エリートのたまり場”には“ランデヴー・ド・アンテレクチュエル”
“お電話です”には“テレフォン・シル・ヴ・ブレ”
といったように、日本語にカタカナでフリガナがふってあるところ。

たぶんそうだろうな…と思いつつ、念のため英語版を確認してみたら、ここの部分は斜体を使ったフランス語の綴り。
異国情緒を醸し出すしゃれた表現方法ということなのかもしれない。