読み終えるのが惜しい気がして、少しずつ行きつ戻りつしながら、じっくりかみしめるように読みふけってきた本。
先日とうとう最後の頁までたどりついてしまった。
上林曉の生誕120年を機に出版された「井伏鱒二、太宰治をはじめ、阿佐ヶ谷文士たちとの交遊、禁酒生活、思い出の本など、上林随筆の魅力が詰まった」随筆集だという宣伝文句に惹かれて手を伸ばした本ではあったが、正直にいうとアンソロジーに収録された作品を、2つ3つ読んだことがある程度で、上林曉のことはほとんど知らなかった。
けれども、読み始めてすぐに、これは大当たりだ!と確信した。
たとえば、こんなくだりがある。私は小説のなかで、目にはっきり見えるような描写が好きだし、自分もそれを心がけている
私もそうだ!
共感ボタンを連打したくなる。欲しいと思う本はいっぱいあるのに、自分が手に入れることの出来るのは九牛の一毛でしかなかった。それで僕は、欲しいと思う本をノートへ列記して、後日を期し、纔かに慰めたものであった
との回想に、思わず私も!と。
そうかとおもえば、室生犀星氏の初期の詩は、青年時代に愛読したドストエフスキイの愛の思想を受け、我々の魂を浄め、沈める調子をもっているので、寝る前に読むには誂え向きの感じがした
というくだりに驚き、“ルソオの「孤独なる散歩者の夢想」やギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの手記」や佐藤春夫の「田園の憂鬱」その他を参考に読み”暇さえあれば野原に出て書いたという作品が気になったりも。
元々太宰つながりで親近感を持っていた井伏鱒二の度々の登場に、すっかり知り合いのおじさんのような気持ちになってきたり、前々からその辛口ぶりが気に入っている 正宗白鳥の意外な一面に感激したりも。
とにもかくにも隅々まで面白かった。
これを機に上林暁、もうちょっと追いかけてみたい。